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最終更新日 : 12 Jan.2009

ex-JA5YFU


現役オペレーター著「全国優勝への道

1999年フィールドデーコンテスト

JA5YFU全国優勝への道

小柳 誠(JI5RPT)

  1999年12月待ちに待った第42回フィールドデーコンテストの結果がJARL NEWS12月号に発表された。 な,な,なんと各種目1位局のバンド別内訳に「JA5YFU」の文字が!!! ついに勝ち取った物理部史上初のFMJ種目全国1位であった。

フィールドデーコンテストとは,JARL(日本アマチュア無線連盟)が主催するコンテストの1つで,物理部(JA5YFU)では毎年参加の恒例行事。 「フィールドデー」という名前からも分かるように,みんなが山や川などの外に出てコンテストをするという目的で山などに移動して,発電機やバッテリーなどで既設電源を使用せずにコンテストに参加すると得点が2倍になるというもの。
  アマチュア無線のコンテストとは何をするのか,たいていの人は分からないだろうが,簡単に言うと一定の時間(フィールドデーコンテストは18時間)内にどれだけ多くの異なるアマチュア局と交信できるかと,どれだけ多くの都道府県と交信できるかを競うものである。 時間からも分かるように結構体力勝負なのだ。 わたしも,18時間後には放心状態だった。
  ここからは,JA5YFU(丸亀高校物理部移動無線班)がフィールドデーコンテストで物理部初の全国優勝の道のりについて書いていこうと思う。 是非最後までよんでください。

1.準備編

  実は,毎年準備を始めるのは1学期期末テストが終わってからと言うのが 物理部の常識だったが,今回は1998年の12月ごろには準備を始めてい たのだ。まずは,1年生でありながら部員全員にコンテストの基本から教え ることから始まり,そして新年度が始まり,初めての2年生中心で企画する 4月のALL JAコンテストを迎えたのだった。結果は,全国3位の初めての ALLJAコンテストでの入賞を果たすことができ,みんなで大喜び。よく考え れば,1998年のALLJAとは,様子が違い,みんなでがんばっていると感 じたのは私だけだろうか?
  私が考えるに,なぜ物理部が勝てないのかという理由は,2つあると考え られる。まずは,経験不足。他の常勝クラブは,ほとんどが私立高校,しか も中高一貫なのだ。なんともわかりやすい理由で,私立高校の連中は,私た ちが初めて無線をする頃には,すでにもう何年もしているということなのだ。 また,地域格差も1つではないかと考えた。1エリア(関東地方)は,5エ リアの10倍以上アマチュア無線人口が集中していて,普通に考えれば勝ち 目は無いように思われる。しかし,それを,逆手に取れば,5エリアの人が 少ないと言うことは,県マルチの要求度が高いともいえる。つまりは,人口 が少ない分だけ,よく呼ばれるのだ。また,電波伝送的にも1エリアより有 利ということが分かり,つまり得点の計算式である

(交信局数)×(都道府県支庁マルチ)×2=(得点)


で分かるように,いくら交信局が多くてもマルチが少ないと得点は増えない という性質を利用しマルチ重視を実行すれば,絶対に勝てると確信したので あった。
  そうこうしているうちに,あっという間に期末テストが終わり物理部は フィールドデーコンテスト一色となってしまった。
  まずは,青の山の許可,保険,許可書類などは,理事である高岡さんに 任せて,山の上に持っていく物の準備はじめた。去年も,ちょっと変な(睡 眠学習を試すために単語帳を枕にして寝るようなやつ)津D先輩にこき使わ れていたので、だいたいの要領は分かっていはずが,準備をしてみるとあら びっくり暑さでやる気喪失…。しかも,新たな設備投資をしたため機材が 増えてたいへん。おかげで,夏休みの課外の1週間が終わってもまだ準備が できず,結局完了したのが8月に入ってからとなってしまいまった。先輩に 聞いてみると,1週間前から一人で準備して死にかけたと言っていたので、 どうもまだこれでも早いということがわかったが…綿密な計画をしたは ずなのに遅くなってしまった…。そういえば,何もしなかった日もあっ たような,なかったような…気が…,まあよしとしときましょう。
  もう,このころになるとフィールドデーコンテストのことで頭がいっぱい, 宿題なんかする気になんかなれなくなり,戦略をねり電卓片手に皮算用。ひ とりで,にやにや。かなり,危ない状態。でも、宿題はぎりぎり提出期限ま でにはなんとか間に合いセーフ。もっと,早くからすればいいのにの毎年思 うのであった(と言おうか,ただ進歩がないだけ)。


2.1999/8/5 (木)

  ついにコンテストのための設営準備前日がやってきた。もうやること はない?と思い全員で明日の山の上での準備のための打ち合わせ。そして 学校から借りたいすと机を運び出して明日のための準備が一応完了。朝8:00 集合ということで解散。なんか台風が近づきそうということで少しいやな 予感が…。まあ,台風が来て雨が降らなければいいと思って家に帰ること にしました。まあ,ここまできたら雨が降ってもやるつもりだったけど…。


3.1999/8/6(金)

  いよいよ,準備の日。風が強い。いやな予感的中。仕方がないので, とりあえず人間様と機材を山の上に運ぶ。運び終わってみれば,もう2時間 以上経過。出だしから遅れをとってしまう。
  気を取り直して、まずはアンテナの組み立てだ…。でもなぜかはかどら ない。そうだ,1年生はアンテナの組み方を知らなかった…。練習不足が 露呈してしまった…。
  そうこうしているうちに,もうお昼近く。50MHzのアンテナをたててから昼 めしにしようということで,全員でアンテナをあげる。が…風が強い! でも無理矢理あげる。ポールが折れそう。アンテナが波打って飛んでいき そう。仕方がないので途中で休憩。他のアンテナからあげることになった (後に50MHzのアンテナを13mにあげるところをやめて8mほどにして,そ の代わりOBの14MHzのアンテナを高くあげてしまった)。一休みのあと,誰 かがチャリンコで山に登ってきた。よくよく見れば,3年生の津D先輩だっ た。話によれば今日は暇だから(無理矢理暇を作ったらしい?が)ちゃんと やっているか見に来たようだ。追い風で登り口までは20分と快調だったら しいが登りにさしかかりそのままバックして帰ろうと思ったらしいが 登ってきたという大馬鹿者である。ついでなのでこき使ってやった。しば らくして塾があるので帰ると言い帰ってしまった。登り20分,下り5分 の旅だったらしい。
  まあ,そうこうしているうちに夕方,みんなかなり疲れている。アンテナ を背に青春しているやつも現れる始末。テントは,風に飛ばされそうになり ながらも何とか終了。後はOBとお泊まり生け贄2年生を残し皆解散。そ の夜,風はいっそう強くなりテント倒壊の危機にさらされながら,足でテン トの端をおさえながら一夜を過ごしたらしい。本当にお泊まりしなくて よかった…。


3.1999/8/7(土)コンテスト当日

  いよいよコンテスト当日。下界に泊まった私は他の人の集合時間より かなり早く山に登り,生け贄君と対面。生け贄君は朝4時から起きてOBと 残った14Mのアンテナをあげていたらしい。えらい!そして無線機を設置 しているところでやっと全員集合。あとは何をしたか忘れてしまったがと にかく,休む暇も無かったことは確かだ。
  女子たちは晩飯を作っている。ちょっといやな予感。やはりいやな予 感的中。聞くところによると,お米をとぐ水が無かったのでトイレの横に ある水道の水を使ったと言っていた。なに…,お,お,おい,おまえら日本 語読めんのか!「この水は飲んではいけません」と書いてるやろが。後 でOBに聞くとそれは雨水だったらしい…。どうも炊くのだから関係 ないと思っていたらしい。その後でミネラルウォータで洗い直してミネラ ルウォータで炊いたらしいが,あまり食べる気がしない。でも食べないと 晩飯がないのでがんばって食べる。コンテストの途中で腹が痛くなったらど うするんや!とかなんとか言うが結局大丈夫だった。ああ,生きているっ て幸せ。
  こんなことをしながらもとうとうコンテスト前1時間,みんなばたばたし ている。今頃になって,1200のアンテナがどうのこうのとやっている。そし て,3.5のマイク変換コネクターがおかしいと文句がきた。実は私が,発電 機で飯を炊いているそばで急いで作った物。もう面倒だからといって,3.5 は普通のマイクになった。後で下界で調べるとマイクコネクターがショー トしていた。すぐ直せるはずだったと後で気づいてももう遅い。
  ああ,ついにコンテスト30分前。みんな自分の無線機の前に行ってコ ンディションのチェックと周波数取り。私がする7MHzは案の定ものすごく 混んでいる。がんばって空き周波数を探す。なんとか3エリアのかぶりが すこしあるものの周波数を確保。CQを出し始める。
  呼ばれない。本当に電波が飛んでいるのか心配。周波数が高いから呼ば れないの?と思いつつあっという間に1分前。緊張は最高潮。いくぞ。 10秒前うおー。3,2,1…


4.コンテスト開始

  1999/8/7(土)21:00 - 1999/8/8(日)15:00

  「CQコンテストJA5YFU/5コンテスト!」おお呼ばれる。いきなり0エリアか ら呼ばれてうはうは。7MHzでは最初の1時間65局のペース。ははは…。 まあまあ良い。最終的には1時間あたり30局を目標に540局くらいを 予想していた。コンテストが始まる前は500局もできれば十分だと思っ ていたのだ。1時間で2時間分の仕事をしたようでかなり気分がよい。
  その後の22時台には60局。ひひひ…。ちょっと局数が落ちたので CW(電信)へ。23時台もこれまた呼ばれる呼ばれる。ふふふ…。
  00時台ペースは少しは落ちたが,まだまだ48局/h。へへへ…。
  01時台に突入でもまあまあ36局/h。ほほほ…。
  ココでちょっとトイレ休憩。1年生のDUPEチェッカーと共に一休み。ト イレに行く途中1年生の女子に会う。キャーと叫ばれた。なんでやねん,と つっこみを入れたかったがなんとか思いとどまった。ちょっと気分悪い。
  まあ,そんなこともありながら5分で戻って,今度はSSBや,と独り言を 言いながらひたすらマイクに向かって叫び続ける。ちょっとレートを取り 戻す。41局/h。
  03時台ちょっと横をよく確認。するともう28はオペレ−ター が行方不明(実は開始1時間までにはいなかったような?)。50MHzの池 田君はひたすらがんばって局数をのばしているようだ。もうDUPEチェッ カーの1年生が眠そう。こっちは気合いでなんとかしているので大丈夫だ が…。呼ばれるのも急にまばらになる。寂しい…。一方,14,21, 1200のテントは02時台には消灯していたらしい,と言おうか,サバ イバラーたちがコードに引っかかって停電していたというのもあるが,実は やる気がなかったので,消灯したと言ううわさも高い。
  あまりにも1年生が眠そう。時々、肩を揺すって起こす。なんてひどい んだろう自分って…。でもがんばってもらわないと…。そうこう しているうちにもう04時台電信でランニングを続ける。でも呼ばれない。 ついに最低の15局/h。ものすごく寂しい。このころになるとそろ そろ自分は何をしているんだろうと物思いにふけってしまっていた。周りを 見ると明かりが見えるのはテントの中と瀬戸大橋だけ。いまどこにいる のかも分からなくなってかなり危険。ぼーっとしている。
  やっと05時台そろそろあたりが明るくなる。美しい朝日に感動?
  なんてしている暇もなくだんだんみんな起きてきてバンド内も騒がしい。 SSBで周波数確保。でもいまいち呼ばれない。CWとSSBを交互にしてみる。 みんなさわやかに「おはようございます。59…」と言っているが わたしは,「なにがおはようだ!わしは寝とらんのじゃ!」と独り言。で も,好感度UPのために自分も交信時に言っていたが…。
  06時台まだまだ05時台とほとんど変わらない。36局/h。
  07時台久々にこの時間帯はSSBのみ運用。結構呼ばれて楽しい。48局/h。
  08時台3.5のOPが様子を見に来た。やっと休めるーと思いOPを交代。 でも3.5のOPはトイレに行く途中だった。勘違いで15分間の空白。一番 痛かった。21局/h。
  09時台CWでランニング中,周波数乗っ取りやろうが現れた。どちらとも 呼ばれない。そのうち姿をけした。やった!でも、時間の無駄だったと後で気づく。 ああ,なんと無駄な時間を過ごしてしまったのだろう。18局/h。明らか に少ない。
  10〜12時台ああ,そういえば何をしてたか…勝手に手が,CW を打っていたなー。CWを打ちながら飯が食えるって,なんと画期的。やっ ぱりCWはいいよねー。
  13時台〜15:00もうそろそろCWも人がいなくなった。さて,SSB でもするか。と言っても空き周波数がない。宿敵JA1YAXもCQを出している。 くそー。とそこへ聞き覚えがある5エリア某クラブが元気よくCQを出してい る。こうなったら下1KでCQだ!「CQコンテスト!JA5YFU/5コンテスト!」 しばらくすると某局がいなくなってしまった。あら不思議。なんともクリア な,しかもおいしい周波数でランニング。呼ばれる呼ばれる。最後の追い上げ。 最後の2時間でかなりいい。49局/h, 47局/hを記録。 14:59のJA6YLWを最後に交信終了。かなりやばい精神状態。何も考えられ ない状態。やった。
目標突破。しかも600局以上は確実。コンピューターで管理すればすぐ 結果も分かるが,なんせ紙ログ。DUPEを確かめないと分からない。後で確かめ るとな,な,なんと予想を遙かに超える644局。ははは…。
  こうして暑い夏のフィールドデーコンテストは終わった。


5.片付け

  終わったと思えば片付けが残っていたー。なにー。みんなだれている。
  かたづけてみると,なんともすぐに片づいてしまった(でも、時間がかかっ たような)。人生のはかなさを感じてしまった。ここで、普通なら明日の、 学校への機材運び込みの前までにまた生け贄がお泊まりしないといけないはず だったが許してもらってOBだけに。夜は、相当盛り上がったらしい。


6.1999/8/9(月)

  次の朝,全員集合。学校の部室に物をとりあえず詰め込んだので,しばらく ドアを開けたら雪崩が起きそうな状態だった。そして荷物を運び込めば 次は反省会。みんな疲れ切っている。こんな時に限って「ケロシン明日 しめきりな!」と,鬼編集長に言われて,結局,家に帰っても休めない。と言 おうか,もうとっくの1ヶ月前の締め切りを守らなかったんだから仕方ない。 次の日のログ書きの集合をかけて解散。


7.1999/8/10(火)

  ログ書きでみんなを集合させたが,時間になってもそろわない。やっとのこ とでログを書き終えた時には,もう12:00をすぎていた。終わった。やっ と終わった?いや,書類提出があった。書類の最終チェックをして簡易書留 で送ってしまった。

                            

<終了>


  このコンテストのことで主に自分のことばかり書いたが,当然私だけで 優勝できた訳ではない。3.5M担当の小柳徹さん,7M担当の私,14M担当のOB,21M担 当の二宮さん,28M担当の津田先輩50M担当の池田君,144M担当の塚本さん, 430,1200M担当の高岡さん,DUPUチェックの1年生,すべての人が優勝に貢献 したのだ。みんなが,全力を尽くしたからこそ,物理部初の全国制覇ができた のだと思う。このコンテストを通じてみんなが1つの目標を追いかけ,楽しく 協力し合うことのすばらしさを改めて感じさせられた。無理だと思っていた優 勝を勝ち取ることができたのは物理部員の心が1つになったからである。全 国一の団結力が優勝を勝手に導いてきてくれたのだ。あの日の出来事は一生 忘れないだろう。


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